コロナ禍が映し出したリーダーシップの欠如
コロナ禍は、世界経済・社会に大きな打撃を与え、感染拡大第二波への懸念も強く、いまだ収束は見えません。日本でも、この間多くの企業が経営難に喘ぎ、倒産企業も現れ、働く人は失業や収入減による生活不安を抱えています。
こうした非常事態には政治の役割が重要ですが、明らかに動きが鈍く、迷走ぶりに目を覆う場面も多々ありました。中小企業の資金繰りの限界は1~2か月と言われ、非正規雇用者も多数いるなかで、特別定額給付金や雇用調整助成金などの申請は煩雑を極め支給まで数か月を要し、困難と絶望のさなかにある人の救済は大きく遅れました。海外では、決定から1週間程度で国民への支援金支給を完了した国もある一方で、個人情報管理への国民の抵抗感の強さなどの背景があったとはいえ、この国のリーダーシップの欠如には残念な思いを隠せません。
声を上げ始めた若者たち
翻ってみれば、コロナ禍以前から社会には多くの問題が山積しています。国連が「誰一人取り残さない」として掲げたSDGsの目標である、世界的な貧困・飢餓の克服、健康・福祉・教育の保障、ジェンダー平等、健全な労働環境や働きがいの実現、格差や差別の克服、気候変動への対応や自然環境の保全、平和で公正な社会の実現などは、いずれも待ったなしの課題です。しかし、その解決に向けた世界のリーダー達の動きは鈍く、自国の一部の人たちの利益を優先する動きすら目立ちます。
こうしたなかで希望が感じられるのは、世界各地で若い世代が次々に声を上げ始めていることです。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん、パキスタンの人権運動家マララ・ユスフザイさん、香港の政治運動家アグネス・チョウさんなど、10代から20代の次世代リーダーが社会変革に挑んでいます。彼らが多くの共感を集めるのは、単に自らの不満や損得など“私憤”のためではなく、社会や世界の不条理に対する“公憤”によって立ち上がっているからです。社会の歪みを正す強い信念と熱意をもち、自分が傷つくリスクさえ顧みず国を越えた連帯を訴える姿には感動を覚え、襟が正される思いです。
企業にも社会課題の解決が求められる時代
そこで、企業の役割に目を転じてみましょう。資本主義社会では、多くの人が株式会社に代表される企業で働き、企業が収益を上げ、そこから給料を得て生活することが基本です。企業は、一般に営利を目的として経済活動を行う主体だと考えられています。しかし、グラミン銀行を設立し、貧困層への融資による自立支援活動の功績によってノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏は、企業人を含む万人に問いかけます。「お金を稼ぐ理屈は間違っている。なぜなら結果が間違っているから。3つのゼロ《貧困ゼロ、失業率ゼロ、二酸化炭素排出ゼロ》を実現しよう。」
今、社会は世界規模で大きなパラダイム転換の渦中にあります。「競争優位の戦略」で名を馳せたハーバードビジネススクールのM.ポーター教授でさえ、近年は共通価値、共有価値の創造を意味するCSV(Creating Shared Value)を提唱しています。先述のSDGsやESG投資への取り組みなど、企業の社会的責任が強く問われているのです。企業は、CSR活動の延長で補足的にとりくむのではなく、社会課題の解決を自らの使命そのものに据えることなくして、持続的成長を望むことができない時代にあると言えるでしょう。
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